煮玉子

楽の多い生涯を送っています

牛丼並盛温玉付き

 1年前まで三軒茶屋で一人暮らししていた。駅から徒歩3分、コンビニとまいばすけっとがあり、大学も渋谷にあったため交通の便もよかった。一人の時間が好きな自分にとって一人暮らしというのはまさに夢のような生活だった。自炊はしていたが、面倒な時近くのすき家で牛丼特盛温玉付きを食べて血糖値爆上げして爆睡したり、夜中ポテチ片手に映画を見たり。別に実家でもやってはいたが特別に感じた。家の中に人がいる一人と誰もいない一人は私にとっては確かに違いがあった。ただ、そんな夢の一人暮らしの場はサークルに入ったことを皮切りにたまり場となっていった。

 

 渋谷から池尻大橋を挟んだ場所にある我が家は、宅飲みの場には些か適しすぎていてサークルの後よくみんなが来た。6.5畳のリビングに10人入ったときは流石に最初キレそうだったが、後半は酒も相まってなんだかんだ楽しかった。私の家に来たときはある程度ルーティンがあって、夜から飲み始めて朝まで飲んで牛丼食ってそのまま爆睡or登校という感じだ。とはいうものの登校していたのは私とサークルの会長だけであった。ただ、なぜか会長は留年した。

 

 私の家はかなり居心地が良いようで2泊、3泊していくやつはザラにいて、私も特に気にしていなかったのだが、居候に近い感覚で罪悪感的な何某を感じたのか彼ら彼女らは3年生の時に「三茶募金」なるものを作った。アマゾンの段ボールで作られた簡易的な貯金箱で、なんでも全部私が持って行って良いというのだ。ベッドの横に置いてあったその募金箱にはたまに募金している姿が見受けられた。

 

 ある時、夜中のどんちゃん騒ぎの最中に買い出しに行くことになり玄関を開けるとちょうど隣人も出てきた。私の家はマンションの6階、601号室で隣の部屋は602号室の住人だけなのだが顔は見たことなかった。ふと気になりバレないように覗いてみると顔面に無数のピアスとタトゥー、プロレスラー真壁みたいなぶっといネックレス。言葉を選ばず申し訳ないが明らかにDQNだった。恐怖でいつもよりエレベーターがいつもより長く感じたが、それと同時に納得した。公園で少し音楽を流したり話したりするだけでも叱責を浴びるこの土地で、夜中騒ぎ立ててもクレーム一つ入らなかったのは隣がDQNだったからなのかと。その日以降少し私の中でDQNの評価が上がり、安心して飲み会も行えるようになった。ただ、壁に寄りかかるときは少しゆっくり寄りかかるようになった。

 

 そんな大学生活も終わりを迎え、退去準備の期間になった。ベランダに置いた灰皿代わりの空き瓶に押し込まれた、吸い殻一つ一つに思い出が詰まっているようで感慨深く感じる。整理をしているとふと一つの段ボールが目に付く。「三茶募金」だ。2年近く設置されたその箱は酒がかかったり誰かが踏んだりしてクタクタになっていたが、思い出補正で味があった。4年を振り返りながら中を覗く、こういうのは額じゃない。大学生とはそもそも金欠だし殆ど入ってなくても構わないと思った。そんな穏やかで感傷に浸りながら確認する。

 

 580円だった。

 

 こういうのは額じゃないとかいうけれど、そもそもそれを言える額に達してなかった。皆が泊まった回数を考えると、私の家は宿泊費が小数点以下になりそうだ。正直、多少期待していたところはあったが、数えているうちに思い出がこみあげて、笑えてきてどうでもよくなった。

 

 そして退去日、最後の三軒茶屋となった私はいままでの思い出が詰まった場所をめぐり、最後にすき家に入った。580円じゃいつものセットは買えなくて、牛丼並盛の温玉付きを頼んだ。200円追加で払えば特盛も頼めたが、580円で買うということに意味があった。初めて頼んだ並盛は、お腹は満たされないけれど確かな満足感があった。